僕について

最初に、このサイトについて

このサイトはこれまで深沢が企画制作したタイトルや、制作に協力させていただいたタイトルの一覧などを公開しています。
いわゆる自己紹介サイト、ポートフォリオサイトという感じで制作しています。

深沢について

長野県出身のゲーム・その他色々の制作者です。

代表作

コンシュマーゲームでは「セカンドノベル」、PCゲームでは「書淫、或いは失われた夢の物語。」、個人制作ゲームでは「忘れものと落とし物」になるかと思います。
そのほかの成果物については「制作」ページもご参照下さい。

活動年表テキなもの

自己紹介的なモノも得意ではないので、とりあえず活動を年表にしてみました。

2013

Wizardsoftによるアクションパズル「スライスゲーム(タイトル仮称)」の制作に協力しました 。

2012

とあるソーシャルゲームの開発に協力しました。現在は公開終了しています。

個人ゲームブランドとして「モノガタ情報技術」を立ち上げ、「MONOGATA Flick」を公開しました。

2011

「デッドエンド Orchestral Manoeuvres in the Dead End」の制作に参画しました。

Granzella / Wizardsoftによるアクションパズル「ふる★ぱに!」の制作に協力しました。

2010

「セカンドノベル」 発売!

2009

Wizardsoft内ゲームブランド「テクスト。」に参加しました。

「セカンドノベル」制作を開始しました。

(この枠内では、当時のエピソードなどを追記しています)
Wizardsoftから「True Color,」の開発について再度打診がありました。最終的にWizardsoftの熱意に押される形で、もう一度「あの物語≒True Color,」を考え直すという意味で、新しいゲームの企画「セカンドノベル」がスタートしました。
それと同時に、それまでお世話になっていたIT会社を退社しています。


2008

Wizardsoftから「True Color,」の家庭用ゲーム機移植の話を相談されます。
True Color,は自分の中で凍結していたため、お話としてはお断りをしました。


2006

Ziz Puzzle を公開しました。

2005

「忘れものと落とし物」をWindows用ゲームとしてリメイクしました。

「忘れものと落とし物」の価格は自由とし、気に入った額を振り込み頂く形式にしました。True Color,の開発復活資金も兼ねていたため、後々セカンドノベルが発売できたときは正直かなりホッとしました。


2001

ゲームブランドLANGuexを立ち上げ、サイトを公開しました。

制作中タイトルとして「True Color,」の情報を公開しました。

2000

「2nd LOVE」を制作、発売しました。

「書淫、或いは失われた夢の物語。」を制作、発売しました。

Forceを退社し、新しいゲームブランド名としてForceで一緒に働いた月永君とLANGuexの準備を開始します。「True Color,」企画に着手したのもこの頃からです。
また、安定した生活を送るため、IT会社に勤務を開始しました。現在も交流している知り合いはこの会社からの縁の方が圧倒的に多いです。


1999

タイピング練習ソフトとして「Type YX」を公開しました。

新しいアドベンチャーゲームシステムとして「nBook」を制作開始し、その成果物として「DEBAG GAME 1-2-3」を公開しました。
続いて、「チュートリアルゲーム」を公開しました。

自分の夢だったゲーム会社就職を達成すべく、それまで働いていた印刷会社を退社したのがこの頃です。
比較的精力的に成果物を公開していますが、これはその就職活動も兼ねていました。
最初に某社へ履歴書を送り、見事落選。
その後Leaf掲示板を設置していた頃に知り合ったとある方よりゲーム会社勤務へのお誘いをいただき、Forceに入社しました。


Forceから「イザヨイ」を制作、発売しました。

「イザヨイ」はA4の企画書1枚を渡され、一ヶ月でつくれと任命されました。ゲーム業界はすごいところだと戦慄したのを覚えています。(でも結局制作は二ヶ月かかりました……)


1998

「LU / LALALA , LU」をコミケによる限定配布しました。

アドベンチャーゲームシステムの開発に本格的に着手し始めたのはこの頃からです。
コミケではCD-R 20 枚ぐらいを焼いたのですが、朝ギリギリまで作業していた記憶があります。また、この時に頂いた「買えなかった」という声を反省し、以後「自分のゲームを残すこと」についてそれなりに考えいくことになります。


天狼さんよりお話をいただき「家庭教師アドベンチャー 2」のPC-98からWindows版への移植を行いました。

移植には原版サークル「マイクロはげチャビン」さんの許諾を得ています。原画の「ものみち湖」さんは「鬼頭 莫宏」さんとして「なるたる」、「ぼくらの」などで有名な方です。


1997

LeafのToHeart発売に伴い、掲示板を設置しました。

一番盛り上がっているときでトータル10万アクセスぐらいあったような気がします。
運営がかなり大変になってきたことと、ToHeartのヒットによるインターネット上のLeaf情報交流が活発になったため、徐々にLeafゲーム紹介(ファンサイト)としての活動をフェードアウトしていくことになります。


オリジナルゲームとして「忘れものと落とし物」を公開開始します。

Webページ内の「日記」として公開。日記内の日付、時刻にあわせリアルタイムに更新を行う形式でした。当時的には割と新しい試みだったのではないかと思います。


namcoの「風のクロノア」掲示板とタイムアタックボードを設置しました。

初代クロノアはゲームとしての完成度が圧倒的で、プレイをしながら大いに感銘を受けました。


1996

WebサイトFlagyx N()TE!を公開しました。

勤めていた会社の寮を出、一人暮らしを開始。念願だったパソコン通信・インターネットの環境を入手します。大いに新しい「メディア」を満喫し、自分も早速「ホームページ」の制作を開始しました。
ホームページ名は使っていたゲームブランド名「Flagyx」のメモ書き的な存在として「Flagyx N()TE!」に。また、Leafの「雫」をプレイし、感銘をうけたところから、ファン交流用の掲示板を設置しました。運営当初のコンセプトは「オリジナルゲームとゲーム紹介とリンク」でした。


Leafの「痕」発売に伴い、「痕掲示板」を設置します。

国内のインターネットは1995年より活発になっていった記憶があります。ただし、当時はまだインターネットよりパソコン通信の方が得られる情報が多い状態でした。
掲示板は「Web裏技」などからPerlのスクリプトを手に入れ、改変して設置していました。


~上京、就職まで

小学校卒業までそれなりに普通に過ごします。

中学1年の時に学校を一年程度休みました。

最初のターニングポイントがたぶんここ。
いわゆる登校拒否です。しばらくその状態が続いた後、今で言う『保健室登校』に近いものを行います。学校には登校するのですが、行き先は「使っていない教室」。中には椅子と大きな机が3つぐらい。「とりあえず学校に“登校”さえすれば好きなことをして、勉強もしなくて良い」というスタイルでした。担任は養護学級の先生。ただし、たまに来てはトランプのポーカーをするぐらいです。
教室内には少し古い大きめのテレビが置かれていました(やがてそこには(当然ながら)TVゲームが繋がれることになります)。
そしてもう一つ、当時すでに型落ちとなっていたパソコンがありました。FM-7です。


FM-7(のちにFM-77AV)でいくつかゲームを制作、周りの子に遊んでもらいます。

結局元のクラスには通わず、こんな感じで中学2,3年を非常に楽しく過ごしました。
最終的には似たような学校を休みがちな生徒が加わり3人教室となりました。
受験勉強もまあそれなりという感じで行い、高校に合格しました。


高校に進学。

中学の頃と比較するとわりと普通の高校生に戻ります。


親にねだり念願の自分のパソコン(エプソンのPC-98互換機)をゲットします。

この時「絶対将来役に立つから」とものすごい勢いで両親を説得しました。
結局それは本当になったので良かったです(と、今になっても親にもそう言われます)。
ソフトはアルバイトをして購入。アルバイト先はデパートの3階にあるわりと大きめのゲームコーナーでした。近隣でパソコンを持っている人もいなかったので、コピー文化にも触れずある意味すごく健全に育ちました。実際の所、当時の「欲しいゲームは全部買えなかったから自分でつくるしかない」という行為が今につながっていったのだと思います。


いくつかの自作ゲームを制作しました。

ブランド名は最初は「F-SOFT」(フカザワなのでF)、その後「FLAGYX」になりました。とはいえ、パソコン通信の環境はなかったのですべて自分の中で完結していました。
現在も使用しているハンドル名「FLAGYX」はこのときに生まれました。
FLAG「XY」ではなく「YX」なのは、C言語の二次元配列の座標が[Y][X]に並んでおり、それまで使っていたBASICの[X][Y]とつい混同し間違えてしまうため、「自分の活動名をフラグ値にすれば嫌でも間違えないだろう」というところからつけられました。


高校卒業後、印刷会社に就職という名目で上京しました。

当然と言いますか、やはり将来的にはコンピュータを使う関連の会社、夢としてはゲーム会社への就職をもくろんでいました。